ハンス・J・ウェグナーといえば、おそらく日本で一番認知度のあるデニッシュ家具デザイナーではないでしょうか。

「Yチェア」や「ザ・チェア」など数々の名作を世に生み出してきたウェグナー。今回はそんな彼のヒストリーについてご紹介します。

 

ウェグナーは1914年4月2日にデンマークとドイツの国境の町、トゥナーで生まれました。彼は青年期より木工家具に対する情熱を強く持っており、17歳という若さで「木工マイスター」の試験に合格しています。

 

その後、コーア・クリントの教え子オルラ・ムルガード・ニールセンが教授としてデザイン方法論の教育を当時おこなっていた、美術工芸学校に入学します

ウェグナーはここでデザインや数学的アプローチについて学び、デザイナーとしての才能を開花させます。校内で大変優秀な成績を修めていたウェグナーでしたが、3年目で自主退学してしまいます。

退学後はアルネ・ヤコブセンと共にデンマークの建築家エリック・モラーの建設事務所にて働き、実務経験を通して技術に磨きをかけていきました。
そんな彼の初めての仕事はニューボー図書館に向けてデザインした、「ウィンザーチェア」でした。


デンマークデザイン界において、最も創造性と独創性に溢れれたデザイナーと言われているウェグナー 。特に椅子の巨匠として知られ、生涯に500脚以上の椅子をデザインしています。そしてその多くが現在名作として、国際的に高い評価を受けています。

「デニッシュモダンと言われるあの独特のスタイルはどのように作られたのか」と、デンマーク国外の人々から頻繁に聞かれていたウェグナーは、これに対して「デザインをより純粋なものにしていくプロセスによって作られたのだと思います。私にとってそれは、よりシンプルにしていく作業。4本の脚、座面、背、アーム、そしてそれをつなぐフレームというように、必要最小限なところまで、無駄をそぎ落とすということなのです。」と答えています。

ウェグナーの家具デザインは足し算ではなく、引き算。シンプルな美と機能性を追求し、その家具の核となるもの、その家具の本質ともいえるべきものを露わにしていく。これが、ウェグナーが後世に遺した最も大きな功績と言えるでしょう。

ウェグナーが生み出す作品は、どれも非常にシンプルでありながら、温もりを感じられるのが特徴的です。そして彼は、木工職人としての木材に対する知識や技術の高さはもちろんのこと、ビジュアルの美しさだけではなく使う人に寄り添うことを大切にしていました。

 

アンドレアス・ツック(テーブルシリーズ)やフリッツ・ハンセン(チャイナチェア)、ヨハネス・ハンセン(ザ・チェア)など数多くのメーカーと共に名作を世に生み出してきたウェグナーですが、1970年代以降は一連の家具製作のライセンスを、1953年創業のPPモブラーへ付与しています。

PPモブラーはクラフトマンシップを重視しながらも、機械を使った加工技術を適度に導入しており、クラフトアンシップを大切にしているウェグナーの価値観と一致していたのでしょう。

そのため、ウェグナーの家具は年代によって製造元が異なっており、製造方法もそれによって若干の異なりがあります。

 

PPモブラーの製作に切り替わる以前の家具は特に希少性が高まっており、コレクターの間でも高い人気を集めています。
 

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