「日本人はきわめて勤勉かつ器用な民族であり、製造業の中には、他国の追随を許さないほど優れたものもある。」
「日本人は磁器製造を得意とし、中国製のものより優れているという人もいる。」
「ともかくわれわれが見たことのある日本製の磁器は非常に繊細で美しいものである。」
1853年に黒船に乗って日本を訪れた、当時のアメリカ合衆国海軍提督マシュー・ペリーは日本についてこのように語ったと言います。
日本の歴史を語る上で知らない人はおそらくいないであろうアメリカ合衆国海軍提督マシュー・ペリー。捕鯨船の寄港地として、またアメリカのアジア進出を目的として国書を日本に届けることが彼の本来の目的でした。
しかし、それ以外にも彼は日本を訪れる前に、入念に日本のことを調べ上げていたことがわかっており、13世紀のヴェネツィア商人、マルコ・ポーロが記録した中国人からの伝聞記録や、当時としては最新の情報であった、長崎・出島に滞在したドイツ人医師シーボルトの報告書までを網羅し、日本の政治体制や人民・貴族の階級制度、法律や宗教、生息している動植物、文化、言語、技術など、多岐にわたって事前に調べ尽くしていました。
日本を訪れた後、ペリーとその秘書官や士官らの航海日誌、専門家たちの報告書をもとにまとめられた「ペリー提督日本遠征記」の中では、ペリーは日本の製造技術についての情報を集め、それを高く評価しています。本書の中では「磁器」とだけ書かれていますが、ペリー艦隊の航路から考えて、有田焼を手にしたことはほぼ間違いないでしょう。
ときに冷淡なまでに簡潔明瞭な報告のなかで、磁器に関しては「非常に繊細で美しい」という賛辞が贈られており、優れた技術を持つ様々な日本文化の中で、有田焼の芸術性・技術力はペリーに大きな衝撃を与えたと言えます。
こうした歴史的背景からも、有田焼が古くよりいかに突出した技術力を持った日本文化であるかを伺うことができますね。