今回は、世界的人気を誇る日本の伝統芸術、伊万里の有田焼のヒストリーをご紹介します。


有田焼の起源は、16世紀末、朝鮮より日本に連れ帰った陶工により作られたことが始まりです。この時代、茶道具として使われていたのは、「土もの」と言われる陶器でした。まだ日本では磁器を焼くことができず、中国や朝鮮から輸入された磁器は、一般市民の手に入るものでは到底なく、一部の上層階級だけの贅沢品でした。

 


帰国するとすぐに朝鮮人陶工たちに焼き物をつくらせはじめ、その排他的な技術力はすぐに当時から日本国内のみならず世界を魅了することとなります。17世紀に入る頃には、既に123万点が世界中に輸出されていたことが分かっています。


18世紀に入ると、有田焼は「禁裏御用達直納」(現在で言うところの「宮内庁御用達」)となり、これ以降天皇家では鮮麗な青花磁器が使用されるようになっていたそうです。

当時、卓越した技術を持つ陶工達は幕府からも格段に優遇されており、技術の漏洩を防ぐために関所を置いて職人の出入りは厳重に管理されていました。

こうしたことからも、有田焼が如何に特別な器であったか、歴史を通しても如実に感じられますね。

 

 

その後、かつては上層階級しか手にすることができなかった磁器は19世紀には庶民の日用雑器にまで行き渡るようになり、食卓を彩るようになりました。歌川広重や歌川豊国といった江戸期の著名な浮世絵師の絵に描かれた食器や料理は豊かな食文化を物語っています。


食器の種類の多さや日本独自の食事マナーなどといった食文化の成熟度は、絵画に描かれた食事風景などからみて、17~18世紀までは東洋のほうが欧州よりもはるかに洗練されていたと指摘する研究者もいるそうです。


今日、世界中で人気を博し、ユネスコの無形文化遺産にも登録された日本食。その基本的な調理法などはほとんど江戸期に確立されたものが多く、その発展には見た目も美しく、丈夫で機能的にも優れた有田焼の貢献が大きく影響していることはいうまでもありません。

日本がいまなお世界に誇る食文化の発達にも、有田焼は大きく貢献しています。




そんな有田焼の中でも大型の皿や壺は、現在は製造の窯元自体がなくなってきてしまっているため製造困難となっており、その希少性からコレクターによる収集や投資目的での売買により益々需要が高まっています。


SUPER VINTAGEで扱っている有田焼は、そんな現在製造が困難になってしまった至高の作品ばかり。その魅力をぜひ皆様コンシェルジュルームにてご覧ください。

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