本日はデンマークが生んだモダニズムの巨匠アルネ・ヤコブセンについてご紹介します。




アルネ・ヤコブセン(1902-1971)はユダヤ人であり、モダニズムを代表する建築家・デザイナーです。

 

彼の代表的な作品は、スカンジナビア空港ビル、デンマーク国立銀行、ラディソンSASロイヤルホテルなどの建築に加えて、その建築を構成するにあたり製作されたさまざまな家具などがあります。彼がデザインした「アントチェア(1952)」や「セブンチェア(1955)」は世界で最も販売数が多い椅子と言われており、その他にも1958年に製作された「スワンチェア」や「エッグチェア」も、今も世界中で愛されています。

 

皆さんもレストランやオフィス、ホテルなど様々なシーンで一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。



1902年にコペンハーゲンで生まれ育ったヤコブセンは、子供のころ自身の寝室に貼られていた装飾的なビクトリア朝の壁紙を白いペンキで塗りつぶしたと言われています。

 

現代でこそ白い壁は一般的に親しまれていますが、20世紀初頭当時は白い壁はまだ決して一般的なものではなく、彼は幼い頃から大衆とは異なる、時代を先取りした革新的な美的感覚を持っていたといえるでしょう。

 

20歳になる頃は画家を目指していたヤコブセンでしたが、父親の反対を受け家を出て旅客船の船員として働くも、船酔いが克服できず離職します。

そしてその後、友人であり建築家のフレミング・ラッセンに絵の才能をいかせる建築の道を勧められ、その才能を開花させました。1929年にはラッセンと共にコンペに向けてモダニズムの形式をとった「未来の家」を発表し、この発表によりモダニズムの旗手の一人としてデンマーク国内において一躍注目を集めます。

 

同年には自分の建築事務所を設立し、1934年に初期の代表作となるベルビュービーチ沿いの「ベラヴィスタ集合住宅」を設計します。現代ではセブンチェアやエッグチェアなどの家具のデザイナーとして知名度の高いヤコブセンですが、実は相当な実力のある建築家でもあるのです。「ベラヴィスタ集合住宅」は、当時のモダニズムを代表する建築家・デザイナーのコルビジェの影響を受けて設計したとヤコブセン自ら語っています。

 

1940年、デンマークがナチスドイツによって占領されると、ユダヤ人のヤコブセンは迫害を恐れてスウェーデンへ亡命します。第二次大戦終了までをスウェーデンで過ごし、戦後は積極的なデザイン活動を再開しました。

ヤコブセンの家具デザインの多くはモダン様式の手本になっており、彼の最も知られた作品であるセブンチェアは、1963年にルイス・モーレイの有名なクリスティーン・キーラーのヌード写真において使用されたことでも有名です。(実際に写真で使用されたチェアは実は本物のセブンチェアではなく模造品であったそうですが、この一件によりセブンチェアが爆発的な人気と知名度を獲得したことにより、フリッツ・ハンセンもヤコブセンも暗黙したと言われています。)

 

ヤコブセンは仕事に対してとてもストイックな人で、家族の面倒を見る代わりに、事実上昼夜関係なく働くことをスタッフたちに要求し、それが嫌なのであれば辞めればいいと言い放つなど仕事のパートナーやメーカーに対して気難しい態度をとり、辛辣で一寸の妥協も許さなかったことで有名です。

 

一方で、画家ルソーのように水彩画に夢中になったり、自然について学んだり、植木の手入れをするなど、厳しい一面とは全く異なる優しい一面もありました。

また、愛らしい一面もあり、ヤコブセンの大好物は焼き菓子であったそうで、完璧主義の彼は焼き菓子の不揃いさや欠けなども気になってしまったそうですが、大好きな焼き菓子を食べている間も仕事モードで考えるのはやめたい、と葛藤をしていたこともあるんだとか。

 

また、子供の頃からおどけたり人を笑わせることが大好きだったヤコブセンは、大人になっても中身をくり抜いたメロンを被ってピエロのように振る舞い周囲の笑いを誘うこともあったそうです。彼の人間味溢れる愛らしい一面が感じられますね。

 

そんな彼がデザインする家具はどれも50年以上前に生み出されたとは思えないほど、いつ見ても新しさを感じさせるスマートで美しいものばかりです。

 

次回はそんなヤコブセンがデザインした家具の中から、SUPER VINTAGEが扱っている名作を詳しくご紹介します。

 

ぜひお楽しみに、お待ちください。

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